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なぜ反貧困でつながることが難しいのか

2009.9.29反貧困ネットワーク京都立ち上げ準備集会@ひとまち交流館

「なぜ反貧困でつながることが難しいのか ― 簡単な報告と問題提起」
渡邉琢(かりん燈)

 こんばんは。渡邉琢といいます。今日は、自分のやっている活動や仕事を通して、なぜ反貧困という活動が必要だと思うのか、あるいは、そう思うにせよ、日頃の実感としてなぜ反貧困でつながることが難しいと感じているのか、そうしたことを述べて、今後の議論を深めていくための問題提起をしていきたいと思っています。
 ぼくが日頃行っている活動は、大きく分けて、二つあります。一つは、勤め先での活動なのですが、日本自立生活センターという障害者団体に所属しており、そこで障害者の自立生活や地域生活の促進、権利擁護に関わる仕事に携わっています。もう一つは、介助者として働いてもいるので、不安定・低賃金の職場条件の改善のために、介助者の立場から、介助者の生活保障を求める活動を、「かりん燈」という介助者の会の名前で行っています。
 そうした自分の立場や活動から反貧困について思うことを、以下、だいたい3つに分けて話を進めていきます。資料の下調べなど不十分なので、多かれ少なかれ印象論で進んでいくこと、ご容赦ください。
1. かりん燈の活動の背景と反貧困運動
2. なぜ反貧困でつながるのが難しいのか
3. 今後の課題や反貧困のあり方など


1. かりん燈の活動の背景と反貧困運動

 まず、かりん燈という介助者の会ですが、これは基本的には、介護労働者一般の職能組合ではなく、障害者の自立生活や地域生活を強烈に推し進めてきた障害者運動に共感する介助者たちで構成される介助者の会です。なので、基本的に、重度障害者は地域ではなく施設や病院にいた方が安全だ、安心だ、という福祉の立場からは一線を画します。どんなに重い障害があっても地域で生き続けることを最重要視し、そのための介助者であることを目指しています。
 この会は、2006年の秋に立ち上げられたのですが、なぜこの会を立ち上げたかというと、ちょうどその年は自立支援法がはじまった年でした。障害者福祉の現場は、かなり混乱し、先行きに対する不安も蔓延していました。それより数年前の2003年に支援費制度というのができ、その時期にかなりの障害者が地域で自立生活をはじめ、知的障害者のガイドヘルプなどもかなり利用量が増加し、それに伴い地域で障害者の生活を支えるヘルパーの数も急増していました。ちょうど一般の会社は雇用不況のおりでしたので、この時期に介助の仕事に就くことになった若い人たちは大勢います。ぼくもその一人です。ところが、先ほど述べた2006年の自立支援法前後から、応益負担その他いろいろな問題が起こり、先行きが不安になるなか、実際に厚労省が設定する介護報酬単価も下がり、給料も目減りしていきました。もともと低い給料がさらに下がっていくので、やっぱりこの仕事には将来ないなと、この仕事を辞めていく人も次第に増えてきました。人が辞めていくとどうなるかといえば、当然ながら、残った人が辞めていった人の分を穴埋めするために、膨大な労働時間で働かないといけないようになります。それでますますこの仕事からリタイアする人もあらわれました。過重労働が原因で体を壊す人もまわりにかなりいました。そうするとまた、残った人に負担がのしかかっていきました。ヘルパーの仕事は、障害者の生活・生存を支える仕事ですので、穴をあけるわけにはいきません。くたくたになりながら働いていました。
(かりん燈では、全国レベルで障害者介助に携わる介助者の労働・生活に関するアンケート調査を行いました。簡単に言えば、介助を主たる生計としている人は869名中444人とかなりの数にのぼるのですが、正規職員の固定給で18万円、昇給ありと答えた人はわずか11%、さらに労働時間は正規職員の半数近くが200時間以上、240時間以上の人も17%という状況です。しかも、ヘルパーは朝昼晩泊りすべてに対応する仕事ですので、労働時間はきわめて不規則・不安定です。)
 さて、そうした状況の中、ぼく個人のこれから先の生活の問題もあるし、またこのままではたぶん障害者の生活・生存も危うくなるだろう、なんとかしないといけないと思い、介助者の生活保障を求める会をはじめたわけです。2006年というのは、ちょうど反貧困運動のきざしが芽生えつつあった年だと記憶しています。雨宮処凛も注目されはじめ、フリーターの労働運動も盛んになっていました。それでも障害者の地域生活に関わる介助者自身による運動は全国どこにもなく、いろんな場所で、ぼくたちの生活の地盤沈下がおきはじめているというのに、これではあかん、だれもやらないなら、自分がやるしかない、ということで仲間とともに運動をはじめました。障害者の立場に近いところに身を置きつつ、自分の生活や将来のことも考えてみると、どうやら、障害者の生活も不安定だし、自分たち働く者たちの生活も不安定で先行きの見えないものになりつつあるという実感がありました。社会保障費削減やら、生活保護における老齢加算の廃止や母子加算の廃止を見ていても、どんどんどんどん少しずつ弱いところからぼくたちの生活が崩されていっている。それぞれが自分たちの立場から、きっちり声を出していくことが必要ではないか、自分たちの生活のことを人まかせにせず、自分たちから発言し、しかもそれが全体的な生活の向上につながっていくように活動することが必要ではないか(かりん燈の下の名前に、万人の所得保障を目指す介助者の会とつけているのはそういう思いが込められています)、そしてもう個別の領域ごとに運動するのでは全体的な社会保障費削減の大きな流れには対抗できず、やはり相互につながって運動していかないといけないのではないか、そんなことを思っていました。2006年度が終わるころ、確か2007年の3月だったでしょうか、東京で反貧困運動の第一弾となる「人間らしい生活と労働を求める集会」が行われました。労働者、障害者、シングルマザー、失業者などなど、さまざまな立場の連帯が今こそ必要だと説くこの集会に、これが求めていた運動だと思い、ぼくも東京に馳せ参じました。

2. なぜ反貧困でつながるのが難しいのか

 上に述べたような思いで、反貧困の運動に共感を示していたぼくですが、そこには常にある種の葛藤がつきまとっていました。それはいかにして障害当事者とともに運動ができるのか、という課題です。ぼく自身が日頃より障害当事者ともに活動している以上、避けては通れない課題です。たとえばまだ施設には多く障害者が入所しており、その人々はぼくらとともに生活する、活動するというには程遠い状況です。その地域移行の活動には、ほんまにしんどさ、厳しさが伴います。そうした状況、これまで何十年にもわたって作られ、放置されてきた状況を無視して、一般の人々の生活が苦しくなったから反貧困でつながろうとはなかなか簡単には言えません。また実際に反貧困の運動ではどうかというと、そこに障害者当事者団体も確かに関わっていますが、現実には団体のトップレベルしか関わっていない状況です。確かに障害当事者団体はきわめて力強い運動を展開し、たとえば生活保護の中でも障害者加算には手をつけられなかったわけですが、それでもどこか反貧困の運動との間には溝があるような気がします。正直、反貧困で活動している人たちも、やはりなかなか障害者と関わった人は少なく、障害者と一般社会の間にどのような壁があるのか、そこを意識している人はあまり多くなく、多くの場合、運動の開始段階から、障害者を排除する状況をつくっています。ここで繰り返すのもなんですが、京都の運動ですら、その準備会は当初エレベータのない弁護士事務所の3階で行われていたわけです。ここでは別に個別の事態を責めているわけではなく、やはり障害者の生活と一般社会のあり方には距離があるな、ということ、その事例としてあげているわけです。そうした距離を認識せずに簡単には反貧困でつながろうとは言い難い側面があります。
 また、これまでいろいろな社会運動において、障害者が単に利用されてきた、という側面も指摘できます。ちょっと古い例ですが、「国民春闘」という言葉がはじめて使われたといわれ、春闘史上最大の闘争規模と賃上げを記録した74年の春闘時の出来事です。この春闘には脳性マヒ者団体の青い芝の会も、優生保護法改正阻止のために積極的に参加しました。それにより障害者を胎児のうちに抹殺することを容認する優生保護法の追加条項を撤回させることに成功したのですが、結局春闘の中身と言えば、障害者団体の要求した経済的、制度的要求はほとんど達成されることなく、以下のような内容だったのです。

  国民春闘の名の下に弱者救済がうたわれた今年の春闘において、一般労働者の賃上げは平均月額3万円という史上最高の額を獲得することができた。これは年額になおすと36万円、更にボーナスを含めれば相当な額にのぼる。これにひきかえ救済されるはずだった弱者に与えられたものはインフレ手当の一時金2千円と、生活保護費のほんのわずかな増額であった。
   これは初めの春闘共闘委員会の意気込みからいっても、あまりにも少なすぎる額であることはもちろんのことであるが、客観的にみていっても一般労働者と障害者をはじめとする生活困窮者の所得のひらきはますます拡大したわけで、これでは「弱者救済」どころか「弱者つきおとし」である。

 国民春闘によって、障害者の地域生活も経済生活も進展したわけでなく、障害者も運動に関わり最大規模で行われた74年国民春闘でしたが、結局一般的な労働者の生活と障害者の生活の格差が開いてしまったという事実、こうしたことが今後も起こりうる可能性についてはやはり反貧困のような大同団結をめざす運動にかかわる以上シビアで繊細な認識をもっていないといけないと思っています。
 また日常生活の場面でも、障害者の生活と労働者の生活はさまざまな利害対立があります。反貧困とか社会保障費2200億円削減反対とか、全体のパイを引き上げようとする運動ではともすればそうした現場の利害対立は見失われがちですが、実際に現場ではそうした日常的な利害対立に満ちています。
 たとえば現在障害者の地域生活に関わる介助者の多くは朝昼晩泊りの24時間対応の仕事をしています。労働時間も不規則、不安定です。さまざまな緊急事態に対応する必要もあります。それにより心身にかなりのストレスを抱える人が多くいます。それだからといって、たとえば夜の仕事はやらない、と言えるでしょうか。そうしたら、重度障害者の地域生活はなくなります。介助者の都合にあわせて介護の時間を決めていけるでしょうか?そうしたら、障害者の自由は制限されていきます。たとえばたいていの施設では、夕食は夕方の4時半に食べます。夜勤さんとの交代があるので、毎日4時半に夕食をとらないといけません。風呂の曜日と時間も決められています。たいてい週2回程度です。厳しいところではトイレの時間も制限される場合もあります。多くの労働者は労働強化を嫌がり、その矛先を障害者の生活の制限に向けてしまいます。施設ではなく地域のヘルパーステーションにおいても、たとえば京都の大手事業所でも、正月やお盆は派遣しません、というところもあります。それで障害者の自立生活が支えられるでしょうか。京都市直営のヘルパー室は、土日休み、9時~18時程度の労働時間です。労組が強い中で労働者の都合だけを考えていては、明らかに障害者の生活は制限されていきます。単純に介護という現場で障害者の生活と介助者の生活を考えただけでも、こうした利害対立が起きているのです。現在では障害者も介護労働者も何かしら支援や対策が必要な立場にいると思います。もちろん両者の生活の向上が目指されればいいのですが、そこでは片方がただ単に自分たちの生活の安定を求めればいいというものでない、たとえば介護者が自分たちの生活の安定を求めたら障害者の生活を制限するおそれがあること、そうしたことは何かしら認識しておかないといけないと思います。そうしたことを意識しておかないと、社会全般を襲った生活の困窮化が国民運動の力によって回復した暁には、結局マイノリティに属する人々との格差は温存されたままだった、なんてことも起こりうるわけです。

3. 今後の課題や反貧困のあり方など

 反貧困運動に共感を覚えつつ、障害者と労働者の昔からある対立から反貧困でつながるということは容易ではない、と述べました。それでも、やはりどこかでつながりを模索していかないといけない、そしてつながりを模索するには、やはり一時的に一面だけで関わるのではなく、お互いに酸いも甘いも含めて関わっていくしかない、と個人的には思っています。
 おりしも民主党が政権をとり、母子加算の復活や後期高齢者医療制度の廃止、障害者自立支援法の廃止などが言われるようになりました。反貧困運動がある意味で一定の成果を見せはじめているのだと思います。ただ、今後ある程度のパイの拡大はあるでしょうが、そのパイの中での予算の分捕り合戦が起きてくるとも思います。やはり声の強い団体の声が通りやすいことは当然なわけで、それぞれの団体が、われ先にと、わたしたちの問題が優先課題だ、と主張します。そのとき反貧困の精神は失われていくのでしょうか。そういうときこそ、反貧困でつながろうの意味が問われてくるのだと思います。
 まぁさしあたりは、このネットワークがいったい誰のためのものか、どこに、誰に目を向けて動いていくのか、それから言葉遣い、表現のわかりやすさや席の配置も含めて会のあり方、場所の設定、時間帯の設定、だれに合わせた場所、時間帯にするのか(今のところは昼間仕事をもっている人々のための時間設定でしょう)、交流会一つにしてもその場所や費用にも会の性格があらわれてきます、自分の感覚で動いていたら無意識のうちに他の人にとって敷居を高めていることがあるので、そうしたものを常に意識していくこと、そうした時間のかかる地道な作業がやはり、つながる、というときには必要になってくるのだと思います。以上で終わります。


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hanhinkonkyoto

Author:hanhinkonkyoto
反貧困ネットワーク京都のブログへようこそ。京都から「反貧困」でつながろうとする人々の情報を載せていきます。2009年12月5日に設立集会を行い、ネットワークをつくりました。

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◆ゆうちょ銀行 口座記号番号 00960-5-165420
  他行からの振込み:〇九九店(099) 当座預金 0165420
◆近畿労働金庫 京都支店  普通預金 3605742
◆京都銀行 京都市役所前支店  普通預金 3631759
名義はいずれも 反貧困ネットワーク京都(ハンヒンコンネットワークキョウト)
◆年会費 個人1000円 団体10000円
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